只今、更新休止中

こちらのブログは、当初はビジネス書を中心とした、
読書記録をメインにしていました。

ビジネス書を読みあさっていくうちに、
自分自身の根底的な変化が必要だと悟り、人間探究、心の旅へと向かいました。

今は、アメブロの方を中心にブログを書いています。

こちらも、再び再開することがあるかもしれませんが、
今の所、休止中ということで、ご了承ください。

アメブロ
「コヨーテが紡ぐ言葉達」

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アイデンティティ その4

さて今回はアイデンティティと自己同一化について考えています。

私たちは、アイデンティティという言葉から、「私」=「アイデンティティ」という錯覚をもっていました。
しかし、「私」というものは実はイメージであり、「本当の自分」、「本当の私」は別にあります。

「アイデンティティ」=「記憶」=「実世界×サブモダリティ」=「イメージ」=「私(思い込み)」≠「本当の私」

私たちが「私」と認識しているものは「セルフイメージ」です。
そして、アイデンティティは自動反応で切り換わるセルフイメージです。
そのセルフイメージに私たちは自己同一化しているんですね。

しかし、ここで自己同一化をアイデンティティレベルの範囲内に留めてしまうと、脱自己同一化しにくくなります。

脱自己同一化へのアプローチが狭くなってしまうんですね。

今までの話にもありましたように、私たちには、いくつものアイデンティティがあります。
しかし、「焦点化の原則」により、瞬間瞬間に持てるアイデンティティは一つです。

そして、その繋がったアイデンティティと自己同一化しているわけですね。
しかも、それは選択できるものではなく、ほぼ自動反応として数あるアイデンティティの一つに繋がっています。

自己同一化という言葉から、ニューロロジカルレベルでいうところのアイデンティティの専売特許とばかりに思いがちですが、
もっとフレキシブルに考えてみては・・・・

今のところの私の見解ですが、
「人は、ニューロロジカルレベルのいずれかの階層(レベル)に自動反応で繋がり、そこに自己同一化している」
という考えを持っています。

もちろん上位階層(アイデンティティ、信念・価値観)に繋がっている時の方が、自己同一化も強固で、
下位階層(能力、行動、環境)に与える影響も強いでしょうが、
脱自己同一化の手がかりとしては下位階層にも勝機ありと思っています。

常に人は瞬間瞬間、どこかのレベルに繋がっている。
そして、どのレベルでも自己同一化は起きている、そんなことを知っていただきたいと思います。

101020_nll

「環境」と自己同一化、「行動」と自己同一化、「能力」と自己同一化というと、なにかよくわからないかもしれませんね。

もう少しわかりやすくします。
「環境」、「行動」、「能力」がアンカーとなって、あるアイデンティティを発動させ、それに自己同一化していく。

この辺りのことは、記事の「アイデンティティ その3」で書かれていた、
「下位階層については繰り返しの体験によりプログラムができ、アイデンティティに影響を与えます」に繋がっていきます。

101018_4

その「環境」「環境」「環境」「環境」「環境」「環境」・・・
その「行動」「行動」「行動」「行動」「行動」「行動」・・・
その「能力」「能力」「能力」「能力」「能力」「能力」・・・

このように繰り返し繰り返しの反復体験により、アイデンティティを形成していく。

どうでしょうか?なんとなくご理解頂けましたでしょうか?

下位階層からも脱自己同一化するのに勝機があると、書いたのはこんなところからきていました。

101020_nll_2

アンカーとなる「環境レベル」、「行動レベル」、「能力レベル」を変えること、気づくことにより(脱自己同一化)、
アイデンティティレベルでの深い自己同一化に影響を与えることもきっと可能でしょう。

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アイデンティティ その3

更にアイデンティティについて煮詰めていきましょう。

前回までを、少しふりかえっていきましょうか。
その1その2

ニューロロジカルレベルを使って、アイデンティティについて考察を深めています。
そして、ニューロロジカルレベルの上位概念のアイデンティティすら、
X=Yであって、「本当の私」ではありませんでした。

アイデンティティは、人との関わり、モノとの関わり、出来事との関わりなど、
過去の体験・経験の中での関係性を元に築かれたものでした。

シンプルに表現してしまうと、アイデンティティは記憶であったんですね。
では、記憶とは?というと、現実世界をサブモダリティを介して私たちが認識できるイメージであったわけです。

「アイデンティティ=記憶=実世界×サブモダリティ=イメージ」

そして、このような公式を作りだすことができました。
前回の最後に予告として、アイデンティティが作り出される関係性について・・・
で、終わりました。

では、続いていきましょうか。

アイデンティティはどのように作り出されているのか?
ニューロロジカルレベルとの関係性とは?

さて、プログラムはどのように作られるのですか?

体験によりプログラムは作られます。
ただし、ただの体験では作られません。
それは「強烈なインパクトを持った体験」或いは「繰り返しによる体験」によってプログラムは作られていきます。

ニューロロジカルレベルでみると、
上位階層については「強烈なインパクトを持った体験」によりプログラムができ、アイデンティティに影響を与えています。
下位階層については「繰り返しの体験」によりプログラムができ、アイデンティティに影響を与えています。

101018_3

ある程度人生経験をされた大人であれば、このような傾向が強いかと思います。

例えば、あなたの目の前に、目を疑うほどの自分好みの女性、或いは男性が現れたとします。
その時、あなたのニューロロジカルレベルはどこのレベルに刺激を受けるでしょう。
上位階層のアイデンティティ、信念・価値観レベルではないでしょうか?

つまり、この場合は強烈なインパクトのある体験なわけですね。
一度の体験でアイデンティティ、信念・価値観を形成してしまいます。

次に、例えばあなたが○○会社の社員だとします。
その時のアイデンティティはどのように形成されていくのでしょうか?

もちろん、これも強烈なインパクトを持って形成される場合もありますが、
どちらかと言うと、それは例外でしょう。

多くの場合は、あなたが勤務先に向かう行動、その勤務先の環境、その会社で発揮する能力、
それらが繰り返し、繰り返しあなたに刻み込まれていくことによりプログラムが作られていきます。

その時、あなたのニューロロジカルレベルは、どこのレベルで刺激を受けるのでしょう。
この時は、下位階層の能力、行動、環境レベルではないでしょうか?

このようにアイデンティティもプログラムと同じように2つの体験法によって作られていきます。
そしてアイデンティティもプログラムですね。

さて、次回も引き続きアイデンティティについて、より深めていきます。
次回は自己同一化という視点からアイデンティティを探っていきます。

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アイデンティティ その2

「アイデンティティって何?」という問いの手がかりとして質問を変形します。

こんなふうにです、「アイデンティティってどうやってできるの?」

さぁ、少しヒントめいたものがうごめき始めましたね。

前回の記事はこんなところで終わりました。
今回は、その続きです。

アイデンティティってどうやってできたのでしょうか?

もう少しくだいていきますね。

では、私が「赤ちゃん」だった時のアイデンティティと、
今、「43歳の私」のアイデンティティって違うんでしょうか?

考えるまでもなく、違いますよね。
赤ちゃんの私が、「私は薬剤師です」、「私は夫です」「私は子供です」「私は父親です」など、
持ちようがないわけです。

では、いま持っている私のアイデンティティってどうやってできたの?ということなんですが・・・

それは今まで私が生きてきた中での関係性からできたものではないでしょうか?

私の人生で、関わってきた人、モノ、体験・・・
そういった関わりの中でアイデンティティが形成されてきたのではないでしょうか?

では、もっとシンプルにいってしまえば、アイデンティティって記憶ではないでしょうか?

「アイデンティティは記憶である」

アイデンティティは記憶からできたもの、こんな感じで仮留めするといいのでは・・・

アイデンティティは自己認識ともいいます。
つまり私たちは、自分自身を認識するには記憶が必要だということです。

記憶がなければ、「私は誰??」ですね。
わからないわけです。
アイデンティティはないんです。
生まれたての赤ちゃんも、記憶が浅いわけですから、アイデンティティも数少ない・・・
というか、ないですよね。きっと。

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「アイデンティティ=記憶」
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アイデンティティは、今までの人やモノ、出来事などの体験などの中での関係性のもと作られてきた。
そして、それは記憶である。
記憶がなくなればアイデンティティもなくなる。

「では、記憶とは?」

結論からいきましょうか。

「記憶とはイメージ」です。

私たちの主観的な世界では、記憶はイメージです。
物理的物質世界をありのままに記憶することは無理なんですね。
私たちの内的世界(心の中)によって、様々なフィルターがかけられていくわけですから、
本来の出来事そのものを認識するのは不可能なわけです。

で、思い出されるのがサブモダリティです。
このブログでも幾度もサブモダリティは扱ってきました。

少しバックトラックしていきましょうね。

私たちは、目の前にあるこの世界をどのように認識しているのでしょうか?

「五感を通して世界を認識している」

視覚、聴覚、身体感覚、嗅覚、味覚をNLPではVAKOGといいます。
(視覚=Visual、聴覚=Auditory、身体感覚=Kinesthetic、嗅覚=Olfactory、味覚=Gustatory)

NLPでは特にVAKを重要視します。(OGはKの一部と考えます)
そして、私たちはVAKから得られる情報を元に現在の周りの状況を認識しています。

NLPは以下の英語の頭文字を意味しています。

Neuro:神経
Linguistic:言語
Programming:プログラミング

そして「五感」、VAKとはNの部分と関係性があります。
私たちは「N」=ニューロンと呼ばれる神経システムを通して、情報をやり取りしています。
そして最初の入力が五感となるわけです。

NLPでは、このような神経システムを「代表システム」といいます。
五感から得られた情報を言語によって意味づけを行い、何らかのプログラムを作ったり、起動させたりするのがNLPです。

「五感を通して世界を認識している」の意味がわかってきたかと思います。

VAKが世界を認識する始まりだとすると、「VAKの質」って大切ですね。

「VAKの質」とは、五感の細かな構成要素のことでサブモダリティといいます。

例を出して簡単に説明すれば、

好きな人を思い出す時には、どのように思い出しますか?
そして、
苦手な人を思い出すときには、どのように思い出しますか?

少し目を閉じて実際にやってみてください。
そして、その違いを探ってみてください。

視覚システムにおいては、
「明るい・暗い」「大きい・小さい」「静止画・動画」「クリア・ピンボケ」「カラー・白黒」「近い・遠い」「見える方向」等・・・
聴覚システムにおいては、
「大きい・小さい」「低音・高温」「ステレオ・モノラル」「近い・遠い」「聴こえる方向」等・・・
身体感覚システムにおいては、
「温かい・冷たい」「硬い・柔らかい」「重い・軽い」「強い・弱い」「ザラザラ・すべすべ」「感じる方向」等・・・

様々な違いを感じることができたと思います。

このようにサブモダリティとは思い出すときの癖と考えることもできます。

で、「記憶はイメージ」ですが・・・

記憶とはサブモダリティが作りだすイメージであるということです。

このようなイメージのもと、私たちは様々なアイデンティティを作り、身にまとっています。

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アイデンティティ=記憶=実世界×サブモダリティ=イメージ
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アイデンティティがイメージだとすると、
「本当の私は何??」

これは大きな空白のまま、煮詰めていきましょうね。

次回はアイデンティティが作り出される関係性について考えていきます。

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アイデンティティ その1

かなり更新を怠ってしまいました。
ズーッとNLPの学習は深めていたのですが・・・

今年の5月末からマリーロータスの尉川太尊さんがファシリテーターを努めている、
NLPのインターネットトレーニングを受講しています。

基礎トレーニング、NLPトレーニング、そして今は、アソシエイトトレーニングを受講中です。
合わせて言語専科で、ランゲージ・ラボラトリー専科も受講中です。

リアルなセミナーよりも確実に言語化するトレーニングができると思います。
無料トレーニングもありますので、ご興味のある方はトライしてみるのもいいかもしれません。

言語化するとは、意識化するということですね。

このブログでも繰り返しお伝えしています。

--------------------------------
意識=思考(頭)=言葉

無意識=身体=感覚
--------------------------------

無意識領域のことを言語化する。意識に上げる作業を課題を通して行います。
もう少し噛み砕いた言い方をしますと、「気づく」ことですね。

私たちの無意識領域には数知れずのプログラム、ビリーフ、価値観などが眠っています。
それに気づかずにいると、私たちは自動反応を繰り返します。
選ぶことができないわけですね。

しかし一度気づいて、それらに色をつけてあげることができれば、制御が可能になってくるのです。
選択の余地が生まれるわけです。

私は、NLPインターネットトレーニングでは数々のモノを言語化してきました。

ここ5ヶ月程は、上記のことをズーッと取り組んでいました。

随分、前置きが長くなりましたが・・・

では、本題へ入っていきますね。

私は人間探究を一つのテーマにしています。
そしてNLPはそれを知る手段の一つとして学んでいます。

人間探究をしていくと、「私って誰?」「本当の自分って?」など、
すぐには答えの出ない「空白」が生まれます。

今回は「アイデンティティ」について深めていきます。
アイデンティティといえばニューロロジカルレベルを絡めないわけにはいきません。

ニューロロジカルレベルはこのブログでも何度かお伝えしています。
ニューロロジカルレベルとは意識レベルを階層的に体系化したものです。
通常は5つのレベルから成り立ちます。(この上にスピリチュアルレベルがあります)

①環境レベル
②行動レベル
③能力レベル
④価値観・信念レベル
⑤アイデンティティーレベル

番号順にレベルが上がるごとに私たちの深い部分に影響を与えるようになります。
このような図で表されます。

2d_2

そして、自分という枠を超えた領域がスピリチュアルレベル。
以前に、この境界点こそが「本当の自分」とお伝えしたこともありました。
それがこちらの図でしたね。

100216

二次元の世界で示されたこの図からは、まぁ、ここしかないとうところでしょうか?
ただ最近はちょっと違うかなぁ、と言うのが私の本音です。

さて、アイデンティティ。
ニューロロジカルレベルの最上位に位置するこのアイデンティティ。
日本語では「自己認識」です。

こう書くと、これぞ「私」という感じもします。
アイデンティティレベルを表現すると、「私は○○です」となります。

まさに「私」なんですが・・・

実はアイデンティティは、ひとつではありません。

ためしに私自身を例に、「私は○○です」を書いていきますね。

私は夫です。
私は親です。
私は薬剤師です。
私は優しいです。
私は正しいです。
私は怠け者です。
私は厳しいです。
私は管理者です。
私は子供です。
私は大人です。
私は会社員です・・・
・・・・・
・・・・・

私ひとりとっても無数にアイデンティティは存在します。
そしてお気づきのとおり、瞬間瞬間に繋がれるアイデンティティは一つです。

「焦点化の原則」によって、同時に、二つのアイデンティティを持つということはできないんですね。

(焦点化の原則:「意識は同時に2つ以上のことをとらえるのが苦手である、よって焦点化が起こる」)

ですから、無意識のうちに、繋げては、切り離しの連続を行っています。
アイデンティティに対してアソシエイト、ディソシエイトを行っているんですね。

例えば、「私は薬剤師です」

これは仕事中の私のアイデンティティです。
でも、ふと、仕事中に子供のことを思い出しているときは、「私は父親です」となります。
そして、また「私は薬剤師です」にもどり、今度は妻の事を考えているといつのまにか「私は夫です」に繋がる。

こんな連続が日常です。そして、それは、残念ながら意識的には選べていません。
自動反応です。

先ほどお伝えしたとおり、アイデンティティは「私は○○です」のように、「私は」で表すことができます。
英語の疑問詞では「Who」となり、「あなたは誰ですか?」と質問できます。

そしてシンプルに表すと、「X=Y」です。

「X=Y」とは一般化のことです。
部分を全体に繋げてしまうんですね。

アイデンティティレベルでの「X=Y」が無数にあることは、話してきた通りです。

私とは、「ひとつ」と思っていたのも、無数にあって、そして、自分で選ぶこともできない。
そして、「X=Y」ということは、アイデンティティすら自分ではない。

「アイデンティティって何??」と、いう疑問がでてきますね。

アイデンティティすら自分ではないとすると・・・
最初のニューロロジカルレベルの図に戻ると、こちらでしたね。
100216_2

ニューロロジカルレベルの最上位のアイデンティティすら自分ではないとすると、
二次元的な図では頂点が「本当の自分」としかいえないんですね。

しかし抽象度をもっともっと上げていくと、なんか違う気がしてきまして・・・
ですから敢えてここは、他にあるかもしれないと可能性を残していきたいですね。
私自身がもっと一致感をもてる答えがでるまでは・・・

「アイデンティティって何?」という問いの手がかりとして質問を変形します。

こんなふうにです、「アイデンティティってどうやってできるの?」

さぁ、少しヒントめいたものがうごめき始めましたね。

次回に続く・・・

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自分の中で何がおこっているのか?

NLPを学び始めると、やたらプログラムという言葉を耳にします。
NLP的にプログラムというとある種の「条件付け」です。

刺激→反応

私たちはある刺激を受け、それに伴って特定の反応を示します。
矢印の部分にはプログラム(条件付け)が隠されています。

そして同じ刺激を受けても人によってその反応は様々です。
分かり易い例で恐縮ですが、犬恐怖症をあてはめてみましょう。

Aさん:犬を見る→かわいい

Bさん:犬を見る→怖い

AさんとBさんの違いは何でしょう。
矢印の部分に隠されているプログラムの違いですね。

では、そのプログラムって何なんでしょう。
それは過去の体験・経験からなるものです。

つまり、イメージ、記憶なんです。

Bさんは過去の記憶で、
犬に対してのネガティブなイメージをまとっています。
そして恐怖と言う感覚を抱いてしまいます。

Aさん、Bさんの見ている犬は同じ犬だとすると、
それぞれの内的世界(自分自身の内側の部分)での犬のイメージが違うと言うことですね。

当ブログでも、何度となく紹介しているこの言葉ですね。

「人間は出来事そのものに影響を受けるのではなく、出来事にまつわるイメージに影響を受ける」

では、プログラムという条件付けを持って活動している現在の自分、
そんな現在の自分とは・・・

「現在の自分は過去の記憶の集まりである。」

私たちがこの世界を認識するすべは、
五感からの入力です。

その入力が頭の中の神経システムで処理され、
言語、つまり意識化されます。

では、その五感の入力によって私たちは何を意識化しているのか?

実はそこにある物質空間そのものでは無いのです。

つまり、同じ「りんご」を見たとしても、
AさんとBさんの見ている「りんご」は違うのです。

視覚で言えば、
赤色を脳が見ているとしても、Aさんの赤色と、Bさんの赤色は同じ色を示してはいません。
そして同じ「りんご」を見ていても抱く感覚は互いに別物です。

私たちは五感による入力を通してこの世界を認識していますが、
それは物質空間ではなく、その人の情報空間として認識していると言ったほうがいいのかもしれません。

モノ、現象などを認識する場合、
そこにぶら下がっている、感覚、感情、価値観などを私たちの神経システムは処理しているのです。

そして、その感覚、感情、価値観などは、
過去の体験・経験により出来上がったものです。

現在の自分は過去の記憶の集まりである訳です。

例えば、視覚がつき始めた赤ちゃんが初めて「りんご」を見ました。
Aさん、Bさんとは更に違った反応になります。

この赤ちゃんは、情報空間ではなく、物質空間に存在する「りんご」を見ているのかも知れません。
その「りんご」にぶら下がる感覚も感情も価値観も何も無いのです。

何かがそこに存在するだけです。存在すら把握することができないかもしれません。
「りんご」の記憶が無いから、何も無いのです。

私たちは、過去のイメージによって今を認識しているに過ぎないのです。
そんな内的世界でのイメージを投影している外側の世界。いわゆる現実。
それは自分そのものなのです。

「自分の中で何が起こっているのか?」

この質問が、豊かな現在を再生する為のキーになるはずです。

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いくつも存在するアイデンティティー

100602

ニューロロジカルレベルの図が内的世界に頭を突っ込んでいます。

ニューロロジカルレベルはこのブログでも何度かお伝えしています。
ニューロロジカルレベルとは意識レベルを階層的に体系化したものです。
通常は5つのレベルから成り立ちます。(この上にスピリチュアルレベルがあります)

①環境レベル
②行動レベル
③能力レベル
④価値観・信念レベル
⑤アイデンティティーレベル

番号順にレベルが上がるごとに私たちの深い部分に影響を与えるようになります。
このような図で表されます。
2d

で、最初の図の説明に戻ります。
赤い円の中は人の内的世界。つまり内側の部分です。
そこにアイデンティティーレベルの部分が入っています。

アイデンティティーレベルは
「私は○○です」のように、「私は」で表すことができます。
英語の疑問詞で聞くと、「Who」になります。あなたは誰?

公式は「私=X」です。

しかし、これは決して一つではありません。
一人の人間の中にはたくさんのアイデンティティーがあります。
それを表したくて最初の図を挙げてみました。
(山崎啓支さんの2.5時間セミナー ニューロロジカルレベル編で上のような図を描かれていました)

例えば私のアイデンティティーは・・・
私は夫です。
私は父親です。
私は薬剤師です。
私は夢想家です。
私は現実主義者です。
私はやさしいです。
私は論理的です。
私は・・・

このように様々な役割を持った私がいるわけです。
そして、この時にも「焦点化の原則」は働きます。

「焦点化の原則」とは
「意識は同時に2つ以上のことをとらえるのが苦手である、
よって焦点化が起こる」ですね。(by 山崎啓支さん)

つまり同時に2つのアイデンティティーは持てないということです。
父親のアイデンティティーを保ったまま、薬剤師のアイデンティティーでいることはできないのです。
瞬間瞬間はどちらか一方に焦点が当たっているはずです。
色々意識を巡らせているときは様々なアイデンティティーを行ったり来たりしています。

一度、「私は○○です」の○○にあたる言葉を50個ぐらい上げてみると面白いです。
役割は結構、真実なところが多いですが、
使命となると思い込みも多いのです。

思い込みがアイデンティティーを作り、
それが信念・価値観に影響します。
そして、それをモティベーションにして能力、行動、
最後に環境を作り出していきます。

このアイデンティティーを「快」に繋げるか、「痛み」に繋げるかで、
大きく環境は変わりそうです。

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花粉症のその後とアレルギーは誰が作る?

以前に花粉症からの解放という記事を書きました。
(全4回)
1.http://new-age-009.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/1-0ede.html
2.http://new-age-009.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/2-f01b.html
3.http://new-age-009.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/nlp-09b7.html
4.http://new-age-009.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/nlp4-0ec4.html

その後、スギ、ヒノキ花粉のシーズンを終えての結果です。

見事に花粉症の症状が出ませんでした。
今年は花粉の飛散量がかなり少なかったというのもありましたが、
自分でもこの結果には驚きです。

正直、記事を書きながらこんな簡単なワークで本当に可能なのか?という疑問もありましたが・・・

振り返って考えてみると、ワークそのものよりも私にはあの記事を書くことに意味があったような気がします。
と言うのも、記事を書くに当たりかなりのアソシエイトした状態で、しかも多分トランス状態になっていた時もあると思います。

実際に記事を書いている最中に鼻がムズムズしてきて鼻水もでてくる状態でした。

そして花粉症に関する自分のビリーフを探り、意識に挙げていく過程、ここがすごく効果があったと思います。
記事を書くことでビリーフが外れたのです。

良くも悪くも「思い込み」の力を実感しました。

最近、思うことにアレルギーの症状などは純粋に身体の反応だけでおきているのだろうか?ということです。

私は調剤薬局で働く薬剤師ですが、初めて来局される患者さんにはお伺い書を書いてもらっています。
そこにアレルギー体質、アトピー性湿疹などをチェックする項目があるのですが、
かなりの多くの方が、チェックされています。
もちろん子供に関しえては親御さんがチェックを入れています。

アレルギーというものに自己同一化されている方が非常に多いのです。
特に親御さんの子供に対するアレルギーのチェックはかなりの頻度でされています。
本当にアレルギーなの?アトピーなの?っという感じもしますが・・・

ニューロロジカルレベルでいえば、アイデンティティレベルがアレルギーなんです。

「私はアレルギーです」

ニューロロジカルレベルとはロバートディルツ博士が意識レベルを階層的に体系化したものです。
通常は5つのレベルから成り立ちます。

①環境レベル
②行動レベル
③能力レベル
④価値観・信念レベル
⑤アイデンティティーレベル

番号順にレベルが上がるごとに私たちの深い部分に影響を与えるようになります。
このような図で表されます。

100525

そして上位のレベルが下位のレベルに強い影響を与えます。
下位のレベルもわずかながら上位レベルに影響を与えることもあります。

こんな患者さんの家族がいます。
40代のお母さんで喘息です。
そして、中学生の娘さんも喘息です。
そして、小学校の息子さんも喘息です。

遺伝的といえばそれまでですが、本当にそれがすべてでしょうか?
なんかあまりにもできすぎてる気がしませんか?

多分、この子供さんたちは、お母さんに小さい頃から
「あなたは喘息だ」と言われてきたような気がします。
自分が喘息だと言うことで、子供にも必ずその症状がでるのでは、という思い込みのもと、
少しの咳でも、喘息につなげていったのでは、と推測します。

すると当然ですが、その子供たちは、
喘息というものと自己同一化します。

アイデンティティレベルが「私は喘息です」

喘息と言うものが自分自身の中にプログラムされるわけですから、
なかなか喘息が治りません。つまり脱同一化できないのです。

もちろんこの考えがすべてではないのですが、
医者や親、メディアなどにより何らかの病気にさせられている人も多いような気がします。

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意識と無意識の架け橋

私たちは生まれてから今に至るまでの間に
数々の無意識的プログラムを作ってきました。

そしてそのプログラムの中には
今の状況状態下では起動しなくてもいいプログラムも存在します。
あまり役に立たないプログラムです。

それが作動してしまうことにより不具合が生じてしまうこともあります。
しかし、以前にはそのプログラムにも役に立つ肯定的意図を持って存在していました。
すべてにおいて役に立つプログラムでもあるのです。

こうした数多くのプログラムが無意識下にあります。
それぞれに個々の感情・価値観・信念・習慣などを持っています。

こうした個々のものをNLPではパート(part)と呼んでいます。

NLPの6ステップリフレーミングなどはこうしたパートとの会話により
悪習慣などを改善していくワークです。

私は正直まだ上手くパートとコミュニケーションをとれていないので、
6ステップリフレーミングなどは体験できていません。

最近は全体的な無意識領域とのコミュニケーションはまずまずできてきたようです。
ただ、その会話がどのパートが対応しているのかまではよくわかりません。

そこで、こうした無意識と仲良くなる方法について考えていきます。

結論から書くと「呼吸」がその鍵を握っています。

パートの特徴として、他からコントロールされることなく自律的に機能し、
自らのプログラムを起動させることができます。
この特徴からすると基本的には普段は意識からのコントロール下には入っていません。

この辺りのところを身体機能と置き換えていきます。

生命維持に必要な機能とは自律神経系が支配していて、意識しなくても機能しています。
その自律神経系の支配下で活動がコントロールされている筋肉があります。
それが不随意筋というものです。
不随意筋とパートとは自律的に機能している点で似ています。

不随意筋には平滑筋・心臓筋および一部の骨格筋が属しています。
平滑筋は内臓筋とも呼ばれています。
胃や腸、心臓などを動かしている筋肉です。
つまり無意識的に機能している筋肉です。

逆に意識的に動かすことのできる筋肉のことを随意筋といいます。
これは脳脊髄神経系に支配されています。
骨格筋・横紋筋がそれに属しています。
体を支え、運動を司っている筋肉です。

不随意筋は意識的にはコントロールできません。
しかし呼吸器だけは面白い存在をしています。

寝ていても意識することなく呼吸をしていますが、
逆に意識して深呼吸などを行うことができます。

肺の働きを機能させる筋肉は随意筋・不随意筋の両方から成り立っていると言うことです。
そして表面的に現れる呼吸は意識と無意識の架け橋になります。

ここで話はそれて「気」のコトを少し。
中医学で考える「気」の概念。

「気」は、
万物を構成する根源的なエネルギーです。
目に見えるものではありませんが、
考え方としては内臓の働きや機能そのものが「気」になります。

「気」は両親から受け継いだ「先天の気」と、
誕生後に地球上から摂取する「後天の気」に分けられます。

先天の気・・・・腎に貯蔵されている。その量は先天的に決まっている。
  (減ることはあっても増えることはない)

後天の気・・・・先天の気の消耗分を補う。
  呼吸作用で肺に摂取される天の気、飲食物によって脾胃に摂取される地の気に分類。

気の働きにより体質を二つに分類することができます。

「気虚」(ききょ)・・・気が不足している場合。
「気滞」(きたい)・・・気が滞っている場合。

普段は意識することの少ない「気」の存在。
これもはやり無意識領域に存在していそうですが、
先天の気を補う為に呼吸作用を使います。

このように意識的な呼吸によって、私たちの無意識に何らかの影響を与えそうです。
呼吸が上手くできていない時や気滞の時は、筋肉はどのようになっているか。
このような時は筋肉が慢性的な緊張状態にあります。
筋肉が緊張すると身体の組織どうしの接触が妨げられます。
身体の各組織はそれぞれに肯定的な戦略を持って機能しています。
その各組織の機能の連絡網が乱れると言うことです。
この各組織はパートと考えていいと思います。

当然、不随意筋、随意筋も上手く機能せず、呼吸は乱れます。
意識して呼吸を正す必要がでてくると言うことです。

さぁ 今から呼吸をしましょう。
心をこめて、なしもしない状態で、呼吸だけに意識をむけてみましょう。

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五感による入力の大切さ

結局のところ、この世界を認識するには五感が唯一の入口だ。
そして五感を通して意識に上げた時にはもう、その物自体の意味をなしていない。
いや、五感を通した時点で意識だろうが、無意識だろうが既に何らかのフィルターがかかっている。

つまり私たちはそのもの自体を認識することはできないのだ。

では、私たちはいったいこの世界の何を認識しているのだろう。
自分自身の脳が勝手に作り上げたこの世界の何を認識しているのか?

それは、その物自体に関わる感情・感覚を自分自身に伝えているのだ
感情・感覚を自分自身に伝えるのに私たちは価値観などのフィルターを使っている。

故に人それぞれ、同じものを見ていても捕らえ方は実に様々だ。
NLPを理解・体験すると、これらのフィルターを上手く使いこなせるようになってくる。
プラクティショナー(実践者)というわけである。
ちなみに私は今のところ仮免実践者ということにしておこう。

状況状態に応じて使うフィルターを変化させるのだ。
それがNLPでいう、リフレーミングやサブモダリティーチェンジであろう。

さらに言えば、一切の価値判断を手放した時、
私たちは生まれたての赤ちゃんの頭の中を、今に再現できるのかもしれない。

私にはもうすぐ3歳になる子供がいるが、実にNLPプラクティショナーなのだ。
小さな子供はラポールの達人である。
無意識レベルの「同調・共鳴」を学習の4段階で言えば「無意識的有能」レベルでこなしている。

学習には4つの段階があります。
第1段階 「無意識的無能」・・・何かを学習する以前の段階
第2段階 「意識的無能」・・・・何かを学び始めたばかりの段階
第3段階 「意識的有能」・・・・何かを意識して使おうと努力していて、実際に使えている段階
第4段階 「無意識的有能」・・・何かを意識することなく、それらを使っている段階

ただし小さな子供の場合はいきなりの第4段階の「無意識的有能」ですので欠点も出てきます。
ラポールでいえば相手の感情をそのまま自分自身に影響を与え過ぎててしまうことです。
大人であれば意識的にコントロールできることですが、無意識優位の小さな子供はそれができません。

相手がイライラしていたり、元気が無かったりすると無意識レベルで「同調・共鳴」してしまい、
自分も同じ感情を持ってしまいます。

我が子を観察していると実にその通りです。
ニュートラルで子供とは向き合うように努めています。

そしてメタモデルの達人でもある。
どんどん突っ込んだ質問をしてくるし、ダブルバンドもバンバン使う。

でも、いつの間にかこのような能力も一時的に消えていくのでしょうね。

話を元に戻していきます。
結局のところ、私たちはその物自体を認識はできなくて、
自分自身のフィルターを通して、その物自体に関わる感情や感覚を自分に伝えているということでした。

フィルターを通すということはサブモダリティーを使っています。
サブモダリティーとは「VAKの質」です。五感の細かな構成要素ということです。
VAKは五感を大きくまとめたものです。

 *視覚、聴覚、身体感覚、嗅覚、味覚をNLPではVAKOGといいます。
 (視覚=Visual、聴覚=Auditory、身体感覚=Kinesthetic、嗅覚=Olfactory、味覚=Gustatory)
  NLPでは特にVAKを重要視します。(OGはKの一部と考えます)

より良い、より豊かな状態を持とうと思うと、
サブモダリティーがすべてと言ってもいいのかもしれません。

良い悪いは別にして私たちの中には無数のプログラムがあります。
それを起動させる一番最初のきっかけが五感による入力です。

ですからそれを作動させる五感、そしてそれに変化を与えるサブモダリティー。
凄く大切、というかすべてです。

このブログでも幾度となく次の言葉を紹介してきました。

「人間は出来事そのものに影響を受けるのではなく、出来事にまつわるイメージに影響を受ける」

「私たちが現実を体験する方法を変化させる能力は、現実の内容そのものを変化させることよりも効果的であることが多い」

そして私たちはサブモダリティーチェンジによって、
「体験に新たな意味づけを行う」ことが可能になるのです。

人はそれができるのですから、
「毎日をいきいきと過ごす」ってことも
練習次第で可能だということです。

さぁ 今から チャレンジ

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