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2010年5月の4件の記事

花粉症のその後とアレルギーは誰が作る?

以前に花粉症からの解放という記事を書きました。
(全4回)
1.http://new-age-009.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/1-0ede.html
2.http://new-age-009.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/2-f01b.html
3.http://new-age-009.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/nlp-09b7.html
4.http://new-age-009.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/nlp4-0ec4.html

その後、スギ、ヒノキ花粉のシーズンを終えての結果です。

見事に花粉症の症状が出ませんでした。
今年は花粉の飛散量がかなり少なかったというのもありましたが、
自分でもこの結果には驚きです。

正直、記事を書きながらこんな簡単なワークで本当に可能なのか?という疑問もありましたが・・・

振り返って考えてみると、ワークそのものよりも私にはあの記事を書くことに意味があったような気がします。
と言うのも、記事を書くに当たりかなりのアソシエイトした状態で、しかも多分トランス状態になっていた時もあると思います。

実際に記事を書いている最中に鼻がムズムズしてきて鼻水もでてくる状態でした。

そして花粉症に関する自分のビリーフを探り、意識に挙げていく過程、ここがすごく効果があったと思います。
記事を書くことでビリーフが外れたのです。

良くも悪くも「思い込み」の力を実感しました。

最近、思うことにアレルギーの症状などは純粋に身体の反応だけでおきているのだろうか?ということです。

私は調剤薬局で働く薬剤師ですが、初めて来局される患者さんにはお伺い書を書いてもらっています。
そこにアレルギー体質、アトピー性湿疹などをチェックする項目があるのですが、
かなりの多くの方が、チェックされています。
もちろん子供に関しえては親御さんがチェックを入れています。

アレルギーというものに自己同一化されている方が非常に多いのです。
特に親御さんの子供に対するアレルギーのチェックはかなりの頻度でされています。
本当にアレルギーなの?アトピーなの?っという感じもしますが・・・

ニューロロジカルレベルでいえば、アイデンティティレベルがアレルギーなんです。

「私はアレルギーです」

ニューロロジカルレベルとはロバートディルツ博士が意識レベルを階層的に体系化したものです。
通常は5つのレベルから成り立ちます。

①環境レベル
②行動レベル
③能力レベル
④価値観・信念レベル
⑤アイデンティティーレベル

番号順にレベルが上がるごとに私たちの深い部分に影響を与えるようになります。
このような図で表されます。

100525

そして上位のレベルが下位のレベルに強い影響を与えます。
下位のレベルもわずかながら上位レベルに影響を与えることもあります。

こんな患者さんの家族がいます。
40代のお母さんで喘息です。
そして、中学生の娘さんも喘息です。
そして、小学校の息子さんも喘息です。

遺伝的といえばそれまでですが、本当にそれがすべてでしょうか?
なんかあまりにもできすぎてる気がしませんか?

多分、この子供さんたちは、お母さんに小さい頃から
「あなたは喘息だ」と言われてきたような気がします。
自分が喘息だと言うことで、子供にも必ずその症状がでるのでは、という思い込みのもと、
少しの咳でも、喘息につなげていったのでは、と推測します。

すると当然ですが、その子供たちは、
喘息というものと自己同一化します。

アイデンティティレベルが「私は喘息です」

喘息と言うものが自分自身の中にプログラムされるわけですから、
なかなか喘息が治りません。つまり脱同一化できないのです。

もちろんこの考えがすべてではないのですが、
医者や親、メディアなどにより何らかの病気にさせられている人も多いような気がします。

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意識と無意識の架け橋

私たちは生まれてから今に至るまでの間に
数々の無意識的プログラムを作ってきました。

そしてそのプログラムの中には
今の状況状態下では起動しなくてもいいプログラムも存在します。
あまり役に立たないプログラムです。

それが作動してしまうことにより不具合が生じてしまうこともあります。
しかし、以前にはそのプログラムにも役に立つ肯定的意図を持って存在していました。
すべてにおいて役に立つプログラムでもあるのです。

こうした数多くのプログラムが無意識下にあります。
それぞれに個々の感情・価値観・信念・習慣などを持っています。

こうした個々のものをNLPではパート(part)と呼んでいます。

NLPの6ステップリフレーミングなどはこうしたパートとの会話により
悪習慣などを改善していくワークです。

私は正直まだ上手くパートとコミュニケーションをとれていないので、
6ステップリフレーミングなどは体験できていません。

最近は全体的な無意識領域とのコミュニケーションはまずまずできてきたようです。
ただ、その会話がどのパートが対応しているのかまではよくわかりません。

そこで、こうした無意識と仲良くなる方法について考えていきます。

結論から書くと「呼吸」がその鍵を握っています。

パートの特徴として、他からコントロールされることなく自律的に機能し、
自らのプログラムを起動させることができます。
この特徴からすると基本的には普段は意識からのコントロール下には入っていません。

この辺りのところを身体機能と置き換えていきます。

生命維持に必要な機能とは自律神経系が支配していて、意識しなくても機能しています。
その自律神経系の支配下で活動がコントロールされている筋肉があります。
それが不随意筋というものです。
不随意筋とパートとは自律的に機能している点で似ています。

不随意筋には平滑筋・心臓筋および一部の骨格筋が属しています。
平滑筋は内臓筋とも呼ばれています。
胃や腸、心臓などを動かしている筋肉です。
つまり無意識的に機能している筋肉です。

逆に意識的に動かすことのできる筋肉のことを随意筋といいます。
これは脳脊髄神経系に支配されています。
骨格筋・横紋筋がそれに属しています。
体を支え、運動を司っている筋肉です。

不随意筋は意識的にはコントロールできません。
しかし呼吸器だけは面白い存在をしています。

寝ていても意識することなく呼吸をしていますが、
逆に意識して深呼吸などを行うことができます。

肺の働きを機能させる筋肉は随意筋・不随意筋の両方から成り立っていると言うことです。
そして表面的に現れる呼吸は意識と無意識の架け橋になります。

ここで話はそれて「気」のコトを少し。
中医学で考える「気」の概念。

「気」は、
万物を構成する根源的なエネルギーです。
目に見えるものではありませんが、
考え方としては内臓の働きや機能そのものが「気」になります。

「気」は両親から受け継いだ「先天の気」と、
誕生後に地球上から摂取する「後天の気」に分けられます。

先天の気・・・・腎に貯蔵されている。その量は先天的に決まっている。
  (減ることはあっても増えることはない)

後天の気・・・・先天の気の消耗分を補う。
  呼吸作用で肺に摂取される天の気、飲食物によって脾胃に摂取される地の気に分類。

気の働きにより体質を二つに分類することができます。

「気虚」(ききょ)・・・気が不足している場合。
「気滞」(きたい)・・・気が滞っている場合。

普段は意識することの少ない「気」の存在。
これもはやり無意識領域に存在していそうですが、
先天の気を補う為に呼吸作用を使います。

このように意識的な呼吸によって、私たちの無意識に何らかの影響を与えそうです。
呼吸が上手くできていない時や気滞の時は、筋肉はどのようになっているか。
このような時は筋肉が慢性的な緊張状態にあります。
筋肉が緊張すると身体の組織どうしの接触が妨げられます。
身体の各組織はそれぞれに肯定的な戦略を持って機能しています。
その各組織の機能の連絡網が乱れると言うことです。
この各組織はパートと考えていいと思います。

当然、不随意筋、随意筋も上手く機能せず、呼吸は乱れます。
意識して呼吸を正す必要がでてくると言うことです。

さぁ 今から呼吸をしましょう。
心をこめて、なしもしない状態で、呼吸だけに意識をむけてみましょう。

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五感による入力の大切さ

結局のところ、この世界を認識するには五感が唯一の入口だ。
そして五感を通して意識に上げた時にはもう、その物自体の意味をなしていない。
いや、五感を通した時点で意識だろうが、無意識だろうが既に何らかのフィルターがかかっている。

つまり私たちはそのもの自体を認識することはできないのだ。

では、私たちはいったいこの世界の何を認識しているのだろう。
自分自身の脳が勝手に作り上げたこの世界の何を認識しているのか?

それは、その物自体に関わる感情・感覚を自分自身に伝えているのだ
感情・感覚を自分自身に伝えるのに私たちは価値観などのフィルターを使っている。

故に人それぞれ、同じものを見ていても捕らえ方は実に様々だ。
NLPを理解・体験すると、これらのフィルターを上手く使いこなせるようになってくる。
プラクティショナー(実践者)というわけである。
ちなみに私は今のところ仮免実践者ということにしておこう。

状況状態に応じて使うフィルターを変化させるのだ。
それがNLPでいう、リフレーミングやサブモダリティーチェンジであろう。

さらに言えば、一切の価値判断を手放した時、
私たちは生まれたての赤ちゃんの頭の中を、今に再現できるのかもしれない。

私にはもうすぐ3歳になる子供がいるが、実にNLPプラクティショナーなのだ。
小さな子供はラポールの達人である。
無意識レベルの「同調・共鳴」を学習の4段階で言えば「無意識的有能」レベルでこなしている。

学習には4つの段階があります。
第1段階 「無意識的無能」・・・何かを学習する以前の段階
第2段階 「意識的無能」・・・・何かを学び始めたばかりの段階
第3段階 「意識的有能」・・・・何かを意識して使おうと努力していて、実際に使えている段階
第4段階 「無意識的有能」・・・何かを意識することなく、それらを使っている段階

ただし小さな子供の場合はいきなりの第4段階の「無意識的有能」ですので欠点も出てきます。
ラポールでいえば相手の感情をそのまま自分自身に影響を与え過ぎててしまうことです。
大人であれば意識的にコントロールできることですが、無意識優位の小さな子供はそれができません。

相手がイライラしていたり、元気が無かったりすると無意識レベルで「同調・共鳴」してしまい、
自分も同じ感情を持ってしまいます。

我が子を観察していると実にその通りです。
ニュートラルで子供とは向き合うように努めています。

そしてメタモデルの達人でもある。
どんどん突っ込んだ質問をしてくるし、ダブルバンドもバンバン使う。

でも、いつの間にかこのような能力も一時的に消えていくのでしょうね。

話を元に戻していきます。
結局のところ、私たちはその物自体を認識はできなくて、
自分自身のフィルターを通して、その物自体に関わる感情や感覚を自分に伝えているということでした。

フィルターを通すということはサブモダリティーを使っています。
サブモダリティーとは「VAKの質」です。五感の細かな構成要素ということです。
VAKは五感を大きくまとめたものです。

 *視覚、聴覚、身体感覚、嗅覚、味覚をNLPではVAKOGといいます。
 (視覚=Visual、聴覚=Auditory、身体感覚=Kinesthetic、嗅覚=Olfactory、味覚=Gustatory)
  NLPでは特にVAKを重要視します。(OGはKの一部と考えます)

より良い、より豊かな状態を持とうと思うと、
サブモダリティーがすべてと言ってもいいのかもしれません。

良い悪いは別にして私たちの中には無数のプログラムがあります。
それを起動させる一番最初のきっかけが五感による入力です。

ですからそれを作動させる五感、そしてそれに変化を与えるサブモダリティー。
凄く大切、というかすべてです。

このブログでも幾度となく次の言葉を紹介してきました。

「人間は出来事そのものに影響を受けるのではなく、出来事にまつわるイメージに影響を受ける」

「私たちが現実を体験する方法を変化させる能力は、現実の内容そのものを変化させることよりも効果的であることが多い」

そして私たちはサブモダリティーチェンジによって、
「体験に新たな意味づけを行う」ことが可能になるのです。

人はそれができるのですから、
「毎日をいきいきと過ごす」ってことも
練習次第で可能だということです。

さぁ 今から チャレンジ

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意識と無意識、そして「何となく」

意識と無意識。

よく言われる例に、意識は氷山の一角でその下に大きな無意識の領域が存在しています。
意識と無意識のパワーの対比では1:20000ともいわれています。

いずれにせよ人間はある意味で無意識によって支配されているといってもいいかも知れません。

意識=顕在意識

無意識=潜在意識

これが一般的に言われていることです。
言葉の定義としては非常に伝え難い意識・無意識です。
なぜならば意識の世界で無意識のことを話さなければならないからです。
無意識のことを言葉にしていくと矛盾がところどころででるのもその為です。

私は意識・無意識は全体としては「心」と考えています。
そして、これも色々考え方はありますが、「心=脳」と考えています。
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ただし、心を実体として思い描く場合は身体全体を包み込むようなイメージを持っています。
つまり心の中に身体が存在するイメージです。
100512_2

この身体の外に心が存在するという感覚を持つ方が何かとイメージングする際、
都合がいいので勝手にこう解釈しています。

実際に脳機能の働きは普段は100%のうち3%しか使っていないといわれています。
3%が顕在意識で残りの97%が潜在意識と考えられます。

ひとりの人間の中には「考える自分」と「感じる自分」がいます。

「思考」と「感覚」です。

思考とは頭で考え、そしてそれは言葉で表される=意識的
感覚とは身体で感じる=無意識的

NLPラーニングの山崎啓支さんの著書でこのあたりはわかりやすく書かれています。

「意識」=「思考(頭)」=「言葉」

「無意識」=「身体」=「感覚」

つまり「考える自分」とは「意識」であり、「感じる自分」とは「無意識」です。

よく例えられる話としては、「わかっちゃいるけど、やめられない」です。
「ダイエット中で食べてはダメだけど、食べてしまった。」
「禁煙中で煙草を吸ってはダメだけど、吸ってしまった。」

意識では分かっているのだけれど、「食べたい、吸いたい」という感覚に負けてしまう。
感覚とは無意識です。無意識の力を考えれば当たり前です。

意識(顕在意識)<無意識(潜在意識)

潜在意識は基本的に自分自身の味方です。
私をいついかなる時も守ってくれています。

人には生きながらえるという本能があります。
潜在意識はそれを「安全・安心」欲求という形で表しています。

では、先ほどの「ダイエット、禁煙」ではどうなんでしょう。
健康面で考えれば、痩せた方が健康であるし、タバコも止めた方が健康です。
潜在意識が自分自身の味方で、生きながらえる本能があれば痩せること、煙草を止めることに協力してくれるのでは・・・

ここが潜在意識の難しいところです。

まず「安全・安心」欲求という観点からいえば、
今、この瞬間無事に生きているということは、安心で安全であるととらえます。
つまり「何かを変える必要はない」と潜在意識は結論付けてしまいます。

潜在意識は、変化することなく現状を維持しようとしているのです。

そしてもう一つ潜在意識の特徴があります。

時間と空間の概念でいうと原則的に潜在意識は「今・ここ」しかありません。

これはどういうことかというと、例を挙げれば簡単です。

「中学生の時に行った修学旅行のことを思い出してください」

「来週の月曜日にする仕事のことを想像して下さい」

どちらもきっとできると思います。
これは頭の中で思い出したり、想像したりしています。
つまり、意識には時間を過去にさかのぼったり、未来に行ったり出来ます。
同時に場所も自由に思い描くことができます。

「いま椅子に腰掛けているお尻の感触を感じてください」

これは今この瞬間この場所の感覚であって、未来でも過去でもありません。
つまり感覚は今しかないのです。
感覚とは無意識だと先ほどお伝えしました。

潜在意識は「今・ここ」しかないということがおわかりいただけたと思います。

メタボリックで数年後には成人病になるとか、煙草をすって数年後に癌になるとか、
そんなことは感覚的には分からないのです。
いつもの方法では潜在意識には伝わらないということです。

「わかっちゃいるけど、やめられない」の原理が少し分かってきたと思います。

このようにひとりの人間の中にも最低でも二人の自分が存在しているのです。
今回の話では「考える自分」と「感じる自分」。
「意識」と「無意識」です。

当然、ひとりの中に二人の自分がいるのですから、葛藤が生まれます。
意識と無意識の間でのギャップです。

それが「今に満足できない」という現象で表されます。

痩せることができない、お金がない、仕事がつまらない、目標が見つからない、いいパートナーにめぐり合えない・・・

こんな時に使うのが無意識に暗示を入れようとするアファメーションです。
肯定的自己暗示。その方法は色々あると思いますが、
エミール・クーエの「私は日々あらゆる面でよくなり続けている」なんかは典型的な例です。
「売上20%アップ」「業務効率化」などもそうかもしれません。
(上記はアファメーション作成のルールは無視しています)

で、それを唱えれば本当に「よくなっていくのか?」「売上が上がるのか?」
「効率化できるのか?」ってことですが。

アファメーションは潜在意識に暗示を入れるものになります。
言葉は確かに潜在意識に届きます。(参考記事)「言葉は無意識にアクセスする

しかしよくある実際はどうでしょうか?(言葉の重要性を知らずに使っている場合です。)
「私は日々よくなっていく」というアファメーションを唱えるたびに、「本当に良くなっていくの?」
「売上20%アップ」というアファメーションを唱えるたびに、「本当に20%売上が上がるの?」
「業務効率化」というアファメーションを唱えるたびに、「これ以上、業務効率化ができるの?」

などと、もしアファメーションするたびに思っていたとしたら、全く逆のことが潜在意識に刻み込まれてしまいます。
アファメーションをするたびに、その何となく不安な気持ち、疑う気持ちが湧き上がるのです。
アファメーションするたびに嫌な感覚を抱いているのです

そう、感覚とは無意識です。言葉よりもダイレクトに潜在意識に入ります。
意外と、気づかずにこのようなコトをしています。

意識=思考(頭)=言葉
無意識=身体=感覚

このようにアファメーションを唱える場合は、言葉よりも感覚を大切にしなければなりません。

「真剣になってもいいが、深刻になるな」

これはセラピストで数多くの書籍類を出されている石井裕之さんの言葉です。
深刻になり眉間にシワをよせ、悲壮感を漂わしてアファメーションを唱えていても全く逆効果なわけです。

そしてさらに怖いのが日々の習慣となっていること。
ある行動の積み重ねが、セルフイメージを作り上げています。
行動自体が暗示となって潜在意識に入り込みます。
もちろん自分では意識しないうちに・・・

この前、私はこんな行動をとりました。

あるスーパーで、カップラーメンを買おうと、商品棚に向かいました。
私はスーパーカップの「しょう油味」を買おうと思いました。188円です。
しかし隣のスーパーカップの「とんこつ味」が128円でセールになっていました。
差額60円です。
私は迷いましたが、何となく「とんこつ味」を買いました。

しかし自宅に帰ってから自分の無意識の行動を意識上にあげてみました。
するとどうでしょう、本当に欲しいものを60円の差であきらめてしまったのです。
たった60円です。本当に食べたかったのは「しょう油味」です。
でも今手元にあるのは「とんこつ味」です。
ちょっと大げさなんですが・・・
でも、潜在意識には60円という感覚が入り込みます。
そして、こういった行動が判断基準を作っていきます。

例は違うにせよ、意外と一日に何回もこのような選択をしている事実もあります。
そして、こういった行動が潜在意識にもっとも入りやすい暗示となります。

そうするとどうなるかというと、「何となく」の判断基準が作られていきます。

実は日頃、「何となく」、こっちにした、やめた、食べた、遊んだ、あれをした・・・・と言うことが結構多いのです。
そして重要な決断も意外と「何となく」という直感めいたもので判断しているはずです。

潜在意識を味方につけているかどうかにより、この「何となく」が人生の差を生みます。
「何となく、こっちを選んだ」結果が幸せな人生を歩んでいる人、
逆に「何となく、こっちを選んだ」結果が不幸せな人生を歩んでいる人。

「何となく」で人生が変わってしまうなんて・・・

もし身近な人で自分のことを「不幸だ」「ついていない」などと言っている人がいたらよく観察をしてみてください。
そして、あなたとの「何となく」の違いを探してみてください。
「不幸だ」「ついていない」と言う人の選択がことごとくあなたと違う場合があります。

「何となく」という感覚は、当然ですが無意識です。
言葉を変えれば、「何となく」は無意識下にあるプログラムです。

プログラムは「繰り返し」と「インパクト」によって作られます。
この場合も同じで、「何となく」は日々の体験の「繰り返し」「インパクト」で作られたと言うことです。
ですから当然ですが、変えていくことも可能だということです。

まず第一歩は、無意識下にある「何となく」を意識にあげてみる。
つまり「気づく」ことから始めてみましょう。

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