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五感による入力の大切さ

結局のところ、この世界を認識するには五感が唯一の入口だ。
そして五感を通して意識に上げた時にはもう、その物自体の意味をなしていない。
いや、五感を通した時点で意識だろうが、無意識だろうが既に何らかのフィルターがかかっている。

つまり私たちはそのもの自体を認識することはできないのだ。

では、私たちはいったいこの世界の何を認識しているのだろう。
自分自身の脳が勝手に作り上げたこの世界の何を認識しているのか?

それは、その物自体に関わる感情・感覚を自分自身に伝えているのだ
感情・感覚を自分自身に伝えるのに私たちは価値観などのフィルターを使っている。

故に人それぞれ、同じものを見ていても捕らえ方は実に様々だ。
NLPを理解・体験すると、これらのフィルターを上手く使いこなせるようになってくる。
プラクティショナー(実践者)というわけである。
ちなみに私は今のところ仮免実践者ということにしておこう。

状況状態に応じて使うフィルターを変化させるのだ。
それがNLPでいう、リフレーミングやサブモダリティーチェンジであろう。

さらに言えば、一切の価値判断を手放した時、
私たちは生まれたての赤ちゃんの頭の中を、今に再現できるのかもしれない。

私にはもうすぐ3歳になる子供がいるが、実にNLPプラクティショナーなのだ。
小さな子供はラポールの達人である。
無意識レベルの「同調・共鳴」を学習の4段階で言えば「無意識的有能」レベルでこなしている。

学習には4つの段階があります。
第1段階 「無意識的無能」・・・何かを学習する以前の段階
第2段階 「意識的無能」・・・・何かを学び始めたばかりの段階
第3段階 「意識的有能」・・・・何かを意識して使おうと努力していて、実際に使えている段階
第4段階 「無意識的有能」・・・何かを意識することなく、それらを使っている段階

ただし小さな子供の場合はいきなりの第4段階の「無意識的有能」ですので欠点も出てきます。
ラポールでいえば相手の感情をそのまま自分自身に影響を与え過ぎててしまうことです。
大人であれば意識的にコントロールできることですが、無意識優位の小さな子供はそれができません。

相手がイライラしていたり、元気が無かったりすると無意識レベルで「同調・共鳴」してしまい、
自分も同じ感情を持ってしまいます。

我が子を観察していると実にその通りです。
ニュートラルで子供とは向き合うように努めています。

そしてメタモデルの達人でもある。
どんどん突っ込んだ質問をしてくるし、ダブルバンドもバンバン使う。

でも、いつの間にかこのような能力も一時的に消えていくのでしょうね。

話を元に戻していきます。
結局のところ、私たちはその物自体を認識はできなくて、
自分自身のフィルターを通して、その物自体に関わる感情や感覚を自分に伝えているということでした。

フィルターを通すということはサブモダリティーを使っています。
サブモダリティーとは「VAKの質」です。五感の細かな構成要素ということです。
VAKは五感を大きくまとめたものです。

 *視覚、聴覚、身体感覚、嗅覚、味覚をNLPではVAKOGといいます。
 (視覚=Visual、聴覚=Auditory、身体感覚=Kinesthetic、嗅覚=Olfactory、味覚=Gustatory)
  NLPでは特にVAKを重要視します。(OGはKの一部と考えます)

より良い、より豊かな状態を持とうと思うと、
サブモダリティーがすべてと言ってもいいのかもしれません。

良い悪いは別にして私たちの中には無数のプログラムがあります。
それを起動させる一番最初のきっかけが五感による入力です。

ですからそれを作動させる五感、そしてそれに変化を与えるサブモダリティー。
凄く大切、というかすべてです。

このブログでも幾度となく次の言葉を紹介してきました。

「人間は出来事そのものに影響を受けるのではなく、出来事にまつわるイメージに影響を受ける」

「私たちが現実を体験する方法を変化させる能力は、現実の内容そのものを変化させることよりも効果的であることが多い」

そして私たちはサブモダリティーチェンジによって、
「体験に新たな意味づけを行う」ことが可能になるのです。

人はそれができるのですから、
「毎日をいきいきと過ごす」ってことも
練習次第で可能だということです。

さぁ 今から チャレンジ

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