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2010年10月の4件の記事

アイデンティティ その4

さて今回はアイデンティティと自己同一化について考えています。

私たちは、アイデンティティという言葉から、「私」=「アイデンティティ」という錯覚をもっていました。
しかし、「私」というものは実はイメージであり、「本当の自分」、「本当の私」は別にあります。

「アイデンティティ」=「記憶」=「実世界×サブモダリティ」=「イメージ」=「私(思い込み)」≠「本当の私」

私たちが「私」と認識しているものは「セルフイメージ」です。
そして、アイデンティティは自動反応で切り換わるセルフイメージです。
そのセルフイメージに私たちは自己同一化しているんですね。

しかし、ここで自己同一化をアイデンティティレベルの範囲内に留めてしまうと、脱自己同一化しにくくなります。

脱自己同一化へのアプローチが狭くなってしまうんですね。

今までの話にもありましたように、私たちには、いくつものアイデンティティがあります。
しかし、「焦点化の原則」により、瞬間瞬間に持てるアイデンティティは一つです。

そして、その繋がったアイデンティティと自己同一化しているわけですね。
しかも、それは選択できるものではなく、ほぼ自動反応として数あるアイデンティティの一つに繋がっています。

自己同一化という言葉から、ニューロロジカルレベルでいうところのアイデンティティの専売特許とばかりに思いがちですが、
もっとフレキシブルに考えてみては・・・・

今のところの私の見解ですが、
「人は、ニューロロジカルレベルのいずれかの階層(レベル)に自動反応で繋がり、そこに自己同一化している」
という考えを持っています。

もちろん上位階層(アイデンティティ、信念・価値観)に繋がっている時の方が、自己同一化も強固で、
下位階層(能力、行動、環境)に与える影響も強いでしょうが、
脱自己同一化の手がかりとしては下位階層にも勝機ありと思っています。

常に人は瞬間瞬間、どこかのレベルに繋がっている。
そして、どのレベルでも自己同一化は起きている、そんなことを知っていただきたいと思います。

101020_nll

「環境」と自己同一化、「行動」と自己同一化、「能力」と自己同一化というと、なにかよくわからないかもしれませんね。

もう少しわかりやすくします。
「環境」、「行動」、「能力」がアンカーとなって、あるアイデンティティを発動させ、それに自己同一化していく。

この辺りのことは、記事の「アイデンティティ その3」で書かれていた、
「下位階層については繰り返しの体験によりプログラムができ、アイデンティティに影響を与えます」に繋がっていきます。

101018_4

その「環境」「環境」「環境」「環境」「環境」「環境」・・・
その「行動」「行動」「行動」「行動」「行動」「行動」・・・
その「能力」「能力」「能力」「能力」「能力」「能力」・・・

このように繰り返し繰り返しの反復体験により、アイデンティティを形成していく。

どうでしょうか?なんとなくご理解頂けましたでしょうか?

下位階層からも脱自己同一化するのに勝機があると、書いたのはこんなところからきていました。

101020_nll_2

アンカーとなる「環境レベル」、「行動レベル」、「能力レベル」を変えること、気づくことにより(脱自己同一化)、
アイデンティティレベルでの深い自己同一化に影響を与えることもきっと可能でしょう。

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アイデンティティ その3

更にアイデンティティについて煮詰めていきましょう。

前回までを、少しふりかえっていきましょうか。
その1その2

ニューロロジカルレベルを使って、アイデンティティについて考察を深めています。
そして、ニューロロジカルレベルの上位概念のアイデンティティすら、
X=Yであって、「本当の私」ではありませんでした。

アイデンティティは、人との関わり、モノとの関わり、出来事との関わりなど、
過去の体験・経験の中での関係性を元に築かれたものでした。

シンプルに表現してしまうと、アイデンティティは記憶であったんですね。
では、記憶とは?というと、現実世界をサブモダリティを介して私たちが認識できるイメージであったわけです。

「アイデンティティ=記憶=実世界×サブモダリティ=イメージ」

そして、このような公式を作りだすことができました。
前回の最後に予告として、アイデンティティが作り出される関係性について・・・
で、終わりました。

では、続いていきましょうか。

アイデンティティはどのように作り出されているのか?
ニューロロジカルレベルとの関係性とは?

さて、プログラムはどのように作られるのですか?

体験によりプログラムは作られます。
ただし、ただの体験では作られません。
それは「強烈なインパクトを持った体験」或いは「繰り返しによる体験」によってプログラムは作られていきます。

ニューロロジカルレベルでみると、
上位階層については「強烈なインパクトを持った体験」によりプログラムができ、アイデンティティに影響を与えています。
下位階層については「繰り返しの体験」によりプログラムができ、アイデンティティに影響を与えています。

101018_3

ある程度人生経験をされた大人であれば、このような傾向が強いかと思います。

例えば、あなたの目の前に、目を疑うほどの自分好みの女性、或いは男性が現れたとします。
その時、あなたのニューロロジカルレベルはどこのレベルに刺激を受けるでしょう。
上位階層のアイデンティティ、信念・価値観レベルではないでしょうか?

つまり、この場合は強烈なインパクトのある体験なわけですね。
一度の体験でアイデンティティ、信念・価値観を形成してしまいます。

次に、例えばあなたが○○会社の社員だとします。
その時のアイデンティティはどのように形成されていくのでしょうか?

もちろん、これも強烈なインパクトを持って形成される場合もありますが、
どちらかと言うと、それは例外でしょう。

多くの場合は、あなたが勤務先に向かう行動、その勤務先の環境、その会社で発揮する能力、
それらが繰り返し、繰り返しあなたに刻み込まれていくことによりプログラムが作られていきます。

その時、あなたのニューロロジカルレベルは、どこのレベルで刺激を受けるのでしょう。
この時は、下位階層の能力、行動、環境レベルではないでしょうか?

このようにアイデンティティもプログラムと同じように2つの体験法によって作られていきます。
そしてアイデンティティもプログラムですね。

さて、次回も引き続きアイデンティティについて、より深めていきます。
次回は自己同一化という視点からアイデンティティを探っていきます。

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アイデンティティ その2

「アイデンティティって何?」という問いの手がかりとして質問を変形します。

こんなふうにです、「アイデンティティってどうやってできるの?」

さぁ、少しヒントめいたものがうごめき始めましたね。

前回の記事はこんなところで終わりました。
今回は、その続きです。

アイデンティティってどうやってできたのでしょうか?

もう少しくだいていきますね。

では、私が「赤ちゃん」だった時のアイデンティティと、
今、「43歳の私」のアイデンティティって違うんでしょうか?

考えるまでもなく、違いますよね。
赤ちゃんの私が、「私は薬剤師です」、「私は夫です」「私は子供です」「私は父親です」など、
持ちようがないわけです。

では、いま持っている私のアイデンティティってどうやってできたの?ということなんですが・・・

それは今まで私が生きてきた中での関係性からできたものではないでしょうか?

私の人生で、関わってきた人、モノ、体験・・・
そういった関わりの中でアイデンティティが形成されてきたのではないでしょうか?

では、もっとシンプルにいってしまえば、アイデンティティって記憶ではないでしょうか?

「アイデンティティは記憶である」

アイデンティティは記憶からできたもの、こんな感じで仮留めするといいのでは・・・

アイデンティティは自己認識ともいいます。
つまり私たちは、自分自身を認識するには記憶が必要だということです。

記憶がなければ、「私は誰??」ですね。
わからないわけです。
アイデンティティはないんです。
生まれたての赤ちゃんも、記憶が浅いわけですから、アイデンティティも数少ない・・・
というか、ないですよね。きっと。

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「アイデンティティ=記憶」
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アイデンティティは、今までの人やモノ、出来事などの体験などの中での関係性のもと作られてきた。
そして、それは記憶である。
記憶がなくなればアイデンティティもなくなる。

「では、記憶とは?」

結論からいきましょうか。

「記憶とはイメージ」です。

私たちの主観的な世界では、記憶はイメージです。
物理的物質世界をありのままに記憶することは無理なんですね。
私たちの内的世界(心の中)によって、様々なフィルターがかけられていくわけですから、
本来の出来事そのものを認識するのは不可能なわけです。

で、思い出されるのがサブモダリティです。
このブログでも幾度もサブモダリティは扱ってきました。

少しバックトラックしていきましょうね。

私たちは、目の前にあるこの世界をどのように認識しているのでしょうか?

「五感を通して世界を認識している」

視覚、聴覚、身体感覚、嗅覚、味覚をNLPではVAKOGといいます。
(視覚=Visual、聴覚=Auditory、身体感覚=Kinesthetic、嗅覚=Olfactory、味覚=Gustatory)

NLPでは特にVAKを重要視します。(OGはKの一部と考えます)
そして、私たちはVAKから得られる情報を元に現在の周りの状況を認識しています。

NLPは以下の英語の頭文字を意味しています。

Neuro:神経
Linguistic:言語
Programming:プログラミング

そして「五感」、VAKとはNの部分と関係性があります。
私たちは「N」=ニューロンと呼ばれる神経システムを通して、情報をやり取りしています。
そして最初の入力が五感となるわけです。

NLPでは、このような神経システムを「代表システム」といいます。
五感から得られた情報を言語によって意味づけを行い、何らかのプログラムを作ったり、起動させたりするのがNLPです。

「五感を通して世界を認識している」の意味がわかってきたかと思います。

VAKが世界を認識する始まりだとすると、「VAKの質」って大切ですね。

「VAKの質」とは、五感の細かな構成要素のことでサブモダリティといいます。

例を出して簡単に説明すれば、

好きな人を思い出す時には、どのように思い出しますか?
そして、
苦手な人を思い出すときには、どのように思い出しますか?

少し目を閉じて実際にやってみてください。
そして、その違いを探ってみてください。

視覚システムにおいては、
「明るい・暗い」「大きい・小さい」「静止画・動画」「クリア・ピンボケ」「カラー・白黒」「近い・遠い」「見える方向」等・・・
聴覚システムにおいては、
「大きい・小さい」「低音・高温」「ステレオ・モノラル」「近い・遠い」「聴こえる方向」等・・・
身体感覚システムにおいては、
「温かい・冷たい」「硬い・柔らかい」「重い・軽い」「強い・弱い」「ザラザラ・すべすべ」「感じる方向」等・・・

様々な違いを感じることができたと思います。

このようにサブモダリティとは思い出すときの癖と考えることもできます。

で、「記憶はイメージ」ですが・・・

記憶とはサブモダリティが作りだすイメージであるということです。

このようなイメージのもと、私たちは様々なアイデンティティを作り、身にまとっています。

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アイデンティティ=記憶=実世界×サブモダリティ=イメージ
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アイデンティティがイメージだとすると、
「本当の私は何??」

これは大きな空白のまま、煮詰めていきましょうね。

次回はアイデンティティが作り出される関係性について考えていきます。

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アイデンティティ その1

かなり更新を怠ってしまいました。
ズーッとNLPの学習は深めていたのですが・・・

今年の5月末からマリーロータスの尉川太尊さんがファシリテーターを努めている、
NLPのインターネットトレーニングを受講しています。

基礎トレーニング、NLPトレーニング、そして今は、アソシエイトトレーニングを受講中です。
合わせて言語専科で、ランゲージ・ラボラトリー専科も受講中です。

リアルなセミナーよりも確実に言語化するトレーニングができると思います。
無料トレーニングもありますので、ご興味のある方はトライしてみるのもいいかもしれません。

言語化するとは、意識化するということですね。

このブログでも繰り返しお伝えしています。

--------------------------------
意識=思考(頭)=言葉

無意識=身体=感覚
--------------------------------

無意識領域のことを言語化する。意識に上げる作業を課題を通して行います。
もう少し噛み砕いた言い方をしますと、「気づく」ことですね。

私たちの無意識領域には数知れずのプログラム、ビリーフ、価値観などが眠っています。
それに気づかずにいると、私たちは自動反応を繰り返します。
選ぶことができないわけですね。

しかし一度気づいて、それらに色をつけてあげることができれば、制御が可能になってくるのです。
選択の余地が生まれるわけです。

私は、NLPインターネットトレーニングでは数々のモノを言語化してきました。

ここ5ヶ月程は、上記のことをズーッと取り組んでいました。

随分、前置きが長くなりましたが・・・

では、本題へ入っていきますね。

私は人間探究を一つのテーマにしています。
そしてNLPはそれを知る手段の一つとして学んでいます。

人間探究をしていくと、「私って誰?」「本当の自分って?」など、
すぐには答えの出ない「空白」が生まれます。

今回は「アイデンティティ」について深めていきます。
アイデンティティといえばニューロロジカルレベルを絡めないわけにはいきません。

ニューロロジカルレベルはこのブログでも何度かお伝えしています。
ニューロロジカルレベルとは意識レベルを階層的に体系化したものです。
通常は5つのレベルから成り立ちます。(この上にスピリチュアルレベルがあります)

①環境レベル
②行動レベル
③能力レベル
④価値観・信念レベル
⑤アイデンティティーレベル

番号順にレベルが上がるごとに私たちの深い部分に影響を与えるようになります。
このような図で表されます。

2d_2

そして、自分という枠を超えた領域がスピリチュアルレベル。
以前に、この境界点こそが「本当の自分」とお伝えしたこともありました。
それがこちらの図でしたね。

100216

二次元の世界で示されたこの図からは、まぁ、ここしかないとうところでしょうか?
ただ最近はちょっと違うかなぁ、と言うのが私の本音です。

さて、アイデンティティ。
ニューロロジカルレベルの最上位に位置するこのアイデンティティ。
日本語では「自己認識」です。

こう書くと、これぞ「私」という感じもします。
アイデンティティレベルを表現すると、「私は○○です」となります。

まさに「私」なんですが・・・

実はアイデンティティは、ひとつではありません。

ためしに私自身を例に、「私は○○です」を書いていきますね。

私は夫です。
私は親です。
私は薬剤師です。
私は優しいです。
私は正しいです。
私は怠け者です。
私は厳しいです。
私は管理者です。
私は子供です。
私は大人です。
私は会社員です・・・
・・・・・
・・・・・

私ひとりとっても無数にアイデンティティは存在します。
そしてお気づきのとおり、瞬間瞬間に繋がれるアイデンティティは一つです。

「焦点化の原則」によって、同時に、二つのアイデンティティを持つということはできないんですね。

(焦点化の原則:「意識は同時に2つ以上のことをとらえるのが苦手である、よって焦点化が起こる」)

ですから、無意識のうちに、繋げては、切り離しの連続を行っています。
アイデンティティに対してアソシエイト、ディソシエイトを行っているんですね。

例えば、「私は薬剤師です」

これは仕事中の私のアイデンティティです。
でも、ふと、仕事中に子供のことを思い出しているときは、「私は父親です」となります。
そして、また「私は薬剤師です」にもどり、今度は妻の事を考えているといつのまにか「私は夫です」に繋がる。

こんな連続が日常です。そして、それは、残念ながら意識的には選べていません。
自動反応です。

先ほどお伝えしたとおり、アイデンティティは「私は○○です」のように、「私は」で表すことができます。
英語の疑問詞では「Who」となり、「あなたは誰ですか?」と質問できます。

そしてシンプルに表すと、「X=Y」です。

「X=Y」とは一般化のことです。
部分を全体に繋げてしまうんですね。

アイデンティティレベルでの「X=Y」が無数にあることは、話してきた通りです。

私とは、「ひとつ」と思っていたのも、無数にあって、そして、自分で選ぶこともできない。
そして、「X=Y」ということは、アイデンティティすら自分ではない。

「アイデンティティって何??」と、いう疑問がでてきますね。

アイデンティティすら自分ではないとすると・・・
最初のニューロロジカルレベルの図に戻ると、こちらでしたね。
100216_2

ニューロロジカルレベルの最上位のアイデンティティすら自分ではないとすると、
二次元的な図では頂点が「本当の自分」としかいえないんですね。

しかし抽象度をもっともっと上げていくと、なんか違う気がしてきまして・・・
ですから敢えてここは、他にあるかもしれないと可能性を残していきたいですね。
私自身がもっと一致感をもてる答えがでるまでは・・・

「アイデンティティって何?」という問いの手がかりとして質問を変形します。

こんなふうにです、「アイデンティティってどうやってできるの?」

さぁ、少しヒントめいたものがうごめき始めましたね。

次回に続く・・・

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